【赤いきつね騒動】東洋水産の対応が正しい理由 【赤いきつね騒動】東洋水産の対応が正しい理由 – みなためラボ

【赤いきつね騒動】東洋水産の対応が正しい理由


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はじめに:赤いきつね騒動について

みなため

どうも! みなため(@MinatameT)です。

近年、企業の広告表現に対する過剰な批判やキャンセルカルチャーが問題視される中、2025年2月に東洋水産の「赤いきつね」CMが話題になりました。

このCMは、女性が涙を流しながらテレビを見つめ、同社の代表的な商品である「赤いきつね」を食べるシーンを描写したものです。

なんの問題もないCMですが、一部の過激な自称・フェミニスト(以下「キチフェミ」)からは、「性的」や「不快」といった批判が相次ぎ、ネット上で炎上騒動へと発展しました。

実際、メディア各社もこの騒動を取り上げ、企業(東洋水産)が悪質なクレームに屈するか否かが注目されていた中、東洋水産はCMを撤回せず、表現の自由を貫く姿勢を示しました。

意見の二極化

問題なし? 問題あり?

私は赤いきつねのCMについて「なんの問題もない。あれを炎上させようとするのがバカ。」という意見でして、ネットでちょっと調べたところ私と同じような意見も多かったです。

まあそれが正常なのですが、実際は意見が二極化しておりまして、「女性の一人暮らしでこんな食べ方は現実的でない」とか「食べ方が性的である」といった否定的な意見もありました。

これはフィクション映像のCMに対してあまりにもアホな意見だったので、ノイジーマイノリティー(声がデカい少数派)が目立っているだけだと思いたかったのですが、私の予想よりも共感者が多かったことにビックリしました(汗)。

もしかすると、キチフェミの勢力は日本をキチフェミ大国にするために、日々勢力を拡大し、天下統一を目指しているのかもしれません。

冗談はさておき、アニメというのは多少誇張されたりするものですし、CMも例外ではありません。

映像編集技術によって商品をクールに魅せるといった、視聴者にインパクトを与えるために過剰で非現実的な演出にするCMもよくあります。

そのため、「女性の食べ方が非現実的」という批判に対しては「そりゃCMだから、そういう演出もあるでしょう。」と言えるわけです。

それと「虚実分離(現実とフィクションを区別)してください」とも言えますね。

当たり屋のようなクレーマー

「はい、ロックオン! ……こういう演技で合っていますか?」

「食べ方が性的で不快」とか「映像に生成AIが使用されているのではないか」というクレームについても、当たり屋レベルの理不尽さだといえます。

あの食べ方が性的に見えるのであれば、女性が絡めばなんでも性的に見えてしまうことでしょう。

これは思春期の男子を凌駕するほどのリビドーです。

いや、そういう「性的表現である」という解釈をするのは別に構わないのですが、その解釈を絶対的な正解であると決めつけて、燃やそうとするのが当たり屋的で迷惑な話だということです。

まあ、キチフェミの平常運転ですね(苦笑)。

※「あざとい」というニュアンスで「性的である」と表現しているのであれば、それは言葉のチョイスが悪いです。「あざとい」や「萌え豚向け」なら伝わるのに、わざわざ「性的」という言葉を選んでいるのですから、印象操作する気なのでしょう。

生成AIの使用疑惑については、仮に生成AIの使用が事実だったとしても法的には問題がありません。

そうとはいえ、2025年3月現在は生成AIの過渡期であり、新技術にまだまだ否定的な勢力(反AI派)も少なくありません。

生成AIに否定的な感情をもつだけなら問題ないのですが、一部の反AI派は戦闘狂気質なのが厄介だといえます。

ローソンプリントのように、生成AIを使用したグッズを販売しただけで反AI派に炎上させられた実例もあります。

そのためか、CMの制作会社は生成AIの使用を否定する声明を発表していました。

私としては、そういう当たり屋と同レベルのクレーマーに屈しない姿勢が非常に大切だと考えておりますので、今回の東洋水産の対応はパーフェクトと評価させていただきます(上から目線)。

東洋水産は悪質なクレームに屈することなく、CMの公開を継続するという堂々とした姿勢を見せ、表現の自由と企業の独自性を守る模範例として評価され続けることでしょう!

おわりに:正常な対応とは

「おかしな批判を無視するだけで勝てました!」

今回の「赤いきつね」騒動は、企業がキチガイじみたクレーマーに屈しなかった重要な成功例として、歴史に刻まれました。

CMを含む表現の自由は、企業やクリエイターが自らの独創性を追求する上で不可欠なものであり、自己検閲(自主規制)は文化や社会の停滞を招きます。

口先では「多様性の時代」とか言っておきながら、自主規制によって画一的な全体主義社会になっていくわけですね。

これを避けて表現の自由と多様性を守るためには、現実とフィクションを明確に区別(虚実分離)し、芸術的表現に対するあらゆる解釈を許容すべきだといえます。

つまり極端な話、あのCMが食品との性行為に見えても自殺映像に見えても「解釈の多様性」として許容されるべきなのです。

しかし、あのCM映像は法的に問題のない表現なのですから、その変な解釈を根拠に企業を叩くのはおかしいということです。

企業やクリエイターがバカみたいなキャンセルカルチャーに屈すれば、悪質なクレームに対する誤った対処法が蔓延し、自由な創作活動ができなくなる危険性があります。

保身によって業界全体に迷惑がかかるわけですね。

もちろん、人にはそれぞれ価値観がありますから、特定の表現に対する異論が出ることは理解できます。

しかし、そうした合理的な根拠に乏しい批判に振り回されるべきではありません。

これに振り回されるのは保身的なバカだけでしょう。

今回の赤いきつね騒動は、企業がおかしな批判に対して毅然とした態度を貫くことで、表現の自由と独創性が守られるという「当たり前のこと」が証明される結果となりました。

そうです、今まで(客層でもない)キチガイじみたクレーマーに屈して謝罪や販売停止をしていたのが「異常」なのであって、東洋水産の対応が正常(できて当然)なのです。

東洋水産のこの姿勢は、今後、他の企業やクリエイターが見ならうべき模範であるといえます。

私も東洋水産と同じように、キチガイじみたクレーマーに屈しないという姿勢を貫き通していきます。

おまけ:似た騒動は度々起こる

キチフェミがあらゆる作品を燃やそうとしているのは日常茶飯事なのですが、キチフェミではない勢力が燃やした作品としては、ミセスの『コロンブス』が記憶に新しいです。

この騒動については上記の記事で説明しているのですが、ここで簡単に説明しますと、ミセスの公開した『コロンブス』という楽曲のMVが人種差別的であると炎上したという件です。

これはキチフェミではなく、世界史を勉強してきた人やポリコレ(政治的妥当性)に染まっているような人が燃やしました。

ミセスの『コロンブス』は歴史教材ではなく楽曲MVであり、実話を参考にしたフィクション作品というわけですから、どのような表現があっても(違法でなければ)許容されるべきなんです。

これがダメなら、戦国BASARAやFGOのキャラクターもアウトになってしまいます。

ですから、私はコロンブス騒動のときも「フィクション作品の解釈は自由だが、それを根拠に叩くのはおかしい」と指摘していたわけです。

もちろん、私がミセスのファンだから無理やり擁護したとか、赤いきつねが好きだから擁護したとか、実は緑のたぬきのほうが好きだとか、そういう個人的な好き or 嫌いによって変わる話ではなく、客観的かつフェアに判断しての指摘ですよ。

私はそのスタイルで一貫しています。

短絡的、感情的になって「現実の差別を想起させるから問題だ!」と騒ぐようなポリコレ汚染済み個体になるのではなく、虚実分離をして「フィクション作品だから別の解釈もできるよね」、「表現の自由を守るべきだよね」という考え方ができれば芸術作品をより楽しめるようになりますし、そうした人が多数派になることで創作界隈に良い影響をもたらすでしょう。

ただし、芸術作品を楽しむためのリテラシー教育(虚実分離、自他分離など)は欠かせません。

※コロンブス騒動のときは、今回の赤いきつね騒動のときよりもクレーマーが厄介(キチフェミよりも知的レベルが高めの傾向 and 多数)だったのですが、結局は「このMVは歴史教材じゃなくてただのフィクションだから、虚実分離しなさい。」で片付く話でした。

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