【生成AI騒動】反AI派への反論と生成AIとの共存 【生成AI騒動】反AI派への反論と生成AIとの共存 – みなためラボ

【生成AI騒動】反AI派への反論と生成AIとの共存


文字サイズ:?? (px)

はじめに

みなため

どうも! みなため(@MinatameT)です。

この記事は、主にいわゆる「反AI」の主張に対する反論や、生成AIとの共存について説明したものです。

理想論ではなく、現実的かどうかを重視する論調であることをご了承ください。

今回は幅広い読者層を想定し、キツい言葉を使用するのはできるだけ控えました。

なお、この記事は必要に応じて更新していきます。

反AIレベル

「生まれてきたのが間違いだったんだよ。」

AI(人工知能)の学習や利用に反対する人たちを反AI派(または単に「反AI」)と呼びます。

反AI派の思想には、大まかに次のような程度の差があります(実際はもっと複雑です。)。

  • レベル1:生成AIの利用や技術革新を推進したくないという気持ちがあり、生成AIを利用した違法な詐欺行為や著作権侵害などには反対する。反対というよりも「中立的」。
  • レベル2:学習データの透明化やオプトイン方式(学習に権利者の許可を得る方式)などの法整備を強く要求し、無断学習を違法化すべきと考える。
  • レベル3:研究目的や医療目的以外でのAIの使用を禁ずる法整備を要求する。
  • レベル4:AIが誕生したこと自体が間違いだったと考え、世界各国のAIの技術を例外なく全面的に禁ずるように要求する。

レベルが上がるほど過激になっていきますが、一般的にはレベル3以上が反AIの過激派とみなされると思います。

個人的にはレベル2の時点ですでに過激ですが、そのあたりは価値観の違いでしょう。

反AI派になる理由

「倫理的な懸念もあるわけだ。」

心理的側面

反AI派の中でも特に絵師さんは「承認欲求」や「特権意識」が強いといわれています。

しかしながら、絵師さんがこうなった背景を一切考慮せずに、ただ精神が未熟であると批判するのは気の毒です。

まずは承認欲求についてですが、これは自己防衛のようなものだと考えられます。

現代はSNSなどでの「いいね」やフォロワー数が重要視されますから、他者からの評価が自分の価値に直結するわけです。

そのため、画像生成AIの普及によって自分がより目立たなくなってしまい、自分の価値が脅かされることを危惧しているのでしょう。

これは絵師さんに限らず、他ジャンルのクリエイターさんでも似たような傾向がありますよね。

次に特権意識についてですが、これは自分の今までの努力や経験の価値を信じている「自負心」の現れだと考えられます。

成果物(結果)が評価される世の中で、作者は自身の努力の過程を一番よく知っています。

そのため、画像生成AIのような大した努力もせずに(実際は人によって多少の努力はありますが)それっぽいイラストが出力できるツールを見ると、「手描きの価値」を再認識するわけですね。

それが特権意識を生む要因でしょう。

まあ、これは反AI派の絵師さんをかなり好意的に解釈したものでしたが、実際は「無自覚の権威認知(絵師 = 偉いという決めつけ)」からも生まれるでしょう。

それはともかく、現代において自分の価値を守るための承認欲求や、頑張ってきたからこそ生まれる特権意識であれば、納得できるものだと思います。

ですから、承認欲求や特権意識そのものはあまり問題ではなく、傲慢で喧嘩腰の態度(合法的な手段で創作活動をしている人たちに対する迷惑行為)を改める必要があるといえるでしょう。

倫理的側面

生成AIの倫理上の懸念は数多く指摘されていますが、その中から5点をピックアップして(次の箇条書き)、それぞれに対して意見していきます。

  • 権利者に無断で作品を利用すること:無断学習が問題であるという指摘
  • モデルの学習データの不透明性:違法なデータが含まれている可能性があるという指摘
  • 学習元の権利者への報酬がないこと
  • 生成AIによる作品が学習元の競合となるリスク
  • 出力された作品が著作権を侵害する可能性

まず、無断学習については私はまったく問題ないと考えています。

詳しくは後述しますが、生成AIによる無断学習と人間による無断学習はほぼ同じことだからです。

次に、モデルの不透明性について倫理的な懸念があるのは認めます。

具体的には、学習目的であっても違法なデータ(実在の児童ポルノなど)を入手するのは法的に問題がありますし、それを混ぜたモデルは倫理的にクリーンとはいえないからです。

しかし、違法なデータが含まれているか否かの確認は実質不可能であり、学習データの透明性を完全に求めるのは現実的ではないといえます。

仮にモデルの学習データの公開が義務化されたとしても、大規模モデルの開発者がすべての学習データを素直に公開すると思いますか?

次に、学習元の作品の権利者に報酬を支払う仕組みを構築することについてですが、これは個々の作品の寄与度(どのくらい生成AIに役立ったのか?)を確認するのが極めて困難であり、現実的ではありません。

確実に不公平な分配になってしまいますので、これは避けるべきです。

ただし、「~さんの画風LoRA」のような、絵師さんを狙い撃ちしたコンテンツの場合は、そのダウンロードページから絵師本人に任意でオンライン寄付(投げ銭)できるような仕組みが構築されると良いと考えています。

※画風には著作権がないので、画風LoRA自体は問題ありません。問題はキャラクターLoRAのほうでして、こちらは著作者が二次創作をはっきりと禁止している場合、著作権問題に発展する可能性もあるでしょう。

次に、生成AIによる作品が学習元の競合となるリスクについては、まあ仕方がないと許容すべきでしょう。

パイを奪われるというのは激化した市場で起こり得ることですからね。

「ズルい」という気持ちはわかりますが、後述のとおり、技術革新とはそういうものです。

それに、生成AIによる作品は量産できるというメリットがあるものの、工夫しないと低品質な作品を量産してしまったり、人々に飽きられやすいというデメリットもあります。

つまり、生成AIを思考停止で使っているだけでは激化した市場で勝てるわけがなく、その点は生成AIを使わない人間と同じ条件だといえるでしょう。

最後に、出力された作品(画像や音楽など)が著作権を侵害する可能性についてですが、これは実際に起こり得ることですし、生成AIユーザーの私としてはここが最も気がかりな点です。

例えば、画像生成AIであれば、二次創作が禁止されている作品のキャラが出力されないように注意していますが、すべての版権キャラを把握するのは不可能です。

そのため、自分の知らない版権キャラ(のそっくりさん)がたまたま生成されて、そのイラストをネット上に公開するのが罪にあたるのは理不尽に感じてしまいます。

なぜなら「版権キャラに似せようとしたわけではない」ということ(自身が無辜であること)を証明する必要があるのなら、「疑わしきは罰せず」という大原則に反することになるからです。

こうした問題は生成AIに限った話ではなく、生成AIを使わない創作でも起こり得ることですね。

わかりやすい例だと、次のイラストのように、青緑髪のロングツインテールの女キャラなら初音ミクに見えがちです(笑)。

初音ミクに見えるキャラクター

しがたって、私も著作権問題を軽視したくはありませんが、類似性(そっくり度)と依拠性(パクる意図)が強く認められた場合にのみ問題視するのが現実的なのではないでしょうか。

医療AIと画像生成AIの学習データの違い

「あれは個人情報だからねえ。」

医療データは個人情報保護の観点から厳格に管理されており、患者の同意なしに利用されることは基本的にありません。

一方、画像生成AIの学習データは、インターネット上に誰でも閲覧できる状態で公開されたイラストが利用されるケースが多く、法的な扱いが異なります。

したがって、「医療データをAIの学習に利用するときは本人の同意が必要だったのだから、画像生成AIの学習も同様に扱うべきだ」という主張は、状況の異なる2つの事象を同一視している点で、適切ではないといえます。

ただし「イラストも個人情報の保護に関する法律の対象であるべきだ」と考えているのであれば、主張の筋は通っています。

人間の学習 VS AIの学習

「えっ? これ全部覚えるやつ? 絶対無理なんだけど。」

反AI派の人々は「AIが無断で作品を学習するのは盗用だ」と主張しますが、これは以下のように反論できます。

「盗用」と「学習」の違いは何か?

盗用とは、作品をそのままコピーして流用する行為であり、これはAI生成物の中には該当するケースもあるかもしれません。

学習とは、既存の知識や作品を吸収する行為であり、それを自分なりに応用することができます。

これは人間が日常的に「無断で」やっていることです(例:中学生が数学の類題を解く、絵師が好きなイラストの構図を参考にする、作曲家が好きな楽曲のコード進行を参考にする)。

AIは既存の作品をそのままコピー(盗用)しているわけではなく、統計的なパターンを学習して新しい画像や文章を生成しています。

これを「盗用」とみなすのなら、人間の学習も同じ「盗用」になるのです。

人間も他者の作品や知識を吸収して学ぶ

人間も他者の作品や知識を吸収して学びます。

例えば、美大生がルーヴル美術館で名画を見て技法を学ぶのも、小説家や漫画家が過去の作品から影響を受けるのも普通のことです。

後者の場合、現代の異世界転生モノは『ドラゴンクエスト』や『ロードス島戦記』の影響を強く受けていますし、バトル漫画のテンプレートは『ドラゴンボール』や『キン肉マン』の影響を強く受けています。

これを「物語泥棒」や「漫画泥棒」と表現するのは適切でしょうか?

また、作曲家が過去の楽曲の影響を受けるのも一般的です。

例えば、クラシック音楽は過去の作品のテーマを引用してアレンジすることが普通ですし、ロックやポップスも過去のコード進行やメロディーを受け継ぎながら発展しています。

「○○の曲に似ている」と言われることはよくありますが、それをすべて「盗作」と呼ぶわけではないでしょう。

※私もある楽曲を「○○の曲っぽい」と表現したりしますが、それは盗作だと言いたいのではなく、額面通り、単純に似た雰囲気を感じたという意見を発信しているだけです。

つまり、「影響を受けること」と「盗むこと」を混同すべきではありません。

さらに、インターネットを使って情報を調べることも、他者の作品や考え方を学ぶ行為です。

もし「AIがインターネット上のデータを学習するのは盗みだ」とするなら、人間もまた「無料で知識を得ている」という点で同様の批判を受けることになりかねません。

人間とAIの学習の本質的な違い

  • スピード:人間は遅く、AIは非常に速い。
  • 情報処理方法:人間は直感、論理、経験を組み合わせるが、AIは統計的パターンを分析して確率的に出力するだけ。
  • オリジナリティー:人間は影響を受けつつも独自の発想を加えるが、AIは学習データの統計的な特徴から予測をして反映するだけ。
  • 作品への影響:人間は既存作品の影響を受けるが、AIは既存データの特徴を継承する。

「生成AIは学習データをツギハギ合成している!」といった意見もありますが、それは誤解を招く説明でして、実際はニューラルネットワーク(人間の脳の神経細胞の模倣)を使って予測しているだけです。

ここでは詳しく説明しませんが、ニューラルネットワークについて気になる方は、「ニューロン」、「シナプス」、「重み」、「誤差(損失)」、「逆伝播」などのキーワードを対話式AIに与えて質問してみてください。

「AIに無断で学習されたくない」という主張について

「そんな顔してもダメだよ。」

著作権の問題は確かに重要ですが、「AIに無断で学習されたくない」という意見は、現在のネット社会における情報の性質を考えると、ある種の「わがまま」と捉えられる側面もあります。

例えば、私たちは普段、検索エンジンやSNSを通じて他者の知識を無断で活用し、それを元に新しいアイデアを生み出しています。

これはAIも同じです。

もし「私の考えを勝手に学習するな」と主張するのであれば、それは現実的に不可能です。

ネット上に公開した時点で、他人に影響を与えることを避けられませんし、AIの学習データになることも避けられないからです。

どうしても知識や作品を勝手に学習されたくないのであれば、ネット上に公開しないことが完璧な自己防衛になります。

※よくウォーターマークなどで自衛した気分になっている方もいますが、あれは技術的な面では無駄な抵抗になってしまっていますし、法的な面でも無効です。ただし、人間に対する意思表示としては有効です。

この時代に「人間の学習はOKだけど、AIの学習はダメ!」というのは、現実的に難しいでしょう。

もちろん、生成AIが著作物(文章やイラストなど)をそのまま再現するような場合は問題ですが、「インターネット上の情報をAIが勝手に学習すること自体が問題」とするのは、今の技術革新の時代に逆行する考え方といえます。

ここで予測される反論として、「じゃあお前の記事も対話式AIのエサ(教材)になっていいんだな?」というものがありますが、もちろん肯定します。

自分は生成AIを頻繁に使っているのに、自分のコンテンツは生成AIに利用されたくないというのは、わがままを極めているでしょう(笑)。

※私は自分が生きた証として、インターネットの空間に文章や動画を残したいと考えています。私が死んだとしても私の意見を代わりにAIが発信し、誰かに伝えてくれるという希望があります。超長期的な価値のシェアです。もちろん、私の考え方が一般的でないことは理解していますが、こういう価値観をもった人もいるということは知っていただきたいです。

生成AIの成果物と手描きの成果物が同じだった場合

「感情的になってたんじゃない?」

人が努力して学習するプロセスは私も認めていますし、生成AIの学習プロセスよりも人間味があって魅力的に感じます。

しかし重要なのは、過程ではなく結果(成果物)が違法なものであるかどうかであり、「同じ成果物であっても、AIを使ったからダメ」などと手法によって判断を変えるのは論理的ではありません。

生成AIを利用して得られた成果物が合法なものであれば、問題視すべきではないでしょう。

最近は一部の戦闘狂の反AI派が「この作品は生成AIを使っているのでは?」などと疑って、エコチェンフレンズ(お仲間)と共に作品を積極的に燃やそうとする行為が目立っていますが、こういうのは作者やその関係者にとって迷惑です。

例えば、赤いきつねのCMの件(次のツイート)は記憶に新しいです。

これはキチフェミ×戦闘狂の反AIという悪魔的コラボレーションでしたね……(汗)。

それと、AI活用アニメ(次のツイート)に対して「こんなのに起用された声優さんは経歴に傷が入ってしまう」とか「早く潰れろ」といった旨の意見をしている人もいますが、さすがに感情的に言いすぎじゃないですか?

なぜ、生成AIを使用している、またはその可能性があるだけであのような文句を言われなきゃならないのでしょうか?

「AIだからダメ」という先入観ではなく、著作権の侵害の有無などの「違法であるかどうか」を基準に論ずるのが妥当ですから、戦闘狂は猛省してください!

歴史が証明する技術革新の影響

「無限の可能性が広がっていると思わない?」

生成AIの技術革新についても、下記の歴史と同じような「時代の変化」の一種といえるでしょう。

写真の登場と絵画への影響

写真の発明は、確かに画家たちに危機感をもたらしました。

1837年のダゲレオタイプ(銀板写真法)の発明は、芸術界に予想外の影響を与えました。

写真は現実を表現する能力で絵画を凌駕し、画家たちを写実主義の束縛から解放しました。

この結果、印象派などの新しい芸術運動が生まれ、芸術家たちは現実の正確な表現以外の表現方法を探求するようになりました。

現代において「カメラのせいで写実的な絵画の価値が脅かされている!」と主張している反カメラ派の人はさすがにいないでしょう(笑)。

DTMの発展とスタジオミュージシャンへの影響

DTM(デスクトップミュージック)の発展は、音楽制作の方法を大きく変えました。

コンピューター、DAWソフトウェア、バーチャル楽器を使用することで、自宅で高品質な音楽制作が可能になりました。

これにより、従来のスタジオ録音モデルが脅かされ、スタジオミュージシャンの仕事が減少する懸念が生まれました。

しかし、プロフェッショナルなスタジオ録音の需要は依然として存在し、特に高品質なドラム録音などでは専門的な設備が必要とされています。

現代において「生演奏こそが真の音楽であり、DAWソフトやピッチ補正ソフトを少しでも利用した音楽には価値がない」と主張している反DTM派のミュージシャンはかなり少ないと思います。

DTPの発展と印刷業界への影響

DTP(デスクトップパブリッシング)の登場は、1980年代に印刷業界に革命をもたらしました。

コンピューター、ソフトウェア、プリンターを使用することで、誰でも高品質な出版物を制作できるようになりました。

これにより、従来の印刷職人の仕事がめちゃくちゃ減少しました。

DTPは出版の民主化をもたらし、個人や小規模企業が自前で出版物を制作できるようになりました。

これらの技術革新は、それぞれの分野に大きな変化やショックをもたらしましたが、同時に新たな創造性や表現の可能性も拓いたといえます。

生成AIの規制と国際競争のバランス

「お言葉ですが、それは国益に反するかと。」

「規制が緩いままだと日本が海外に出し抜かれる」という意見もありますが、実際には「規制が厳しい国ほど競争で不利になる」可能性のほうが高いです。

例えば、中国はAI技術の発展において国家主導で積極的に投資し、大量のデータを活用しています。

その結果、AI分野で世界トップクラスの競争力をもつようになりました。

一方で、欧州のGDPR(一般データ保護規則)はプライバシー保護を最優先として企業のデータ活用を制限しており、新興企業の競争力を相対的にダウンさせています。

つまり、日本が過度な規制をするほど技術開発で出遅れる可能性が高く、むしろ規制が緩い国のほうが競争力をもつといえるでしょう。

日本だけが規制した場合のリスク

もし日本だけが生成AIを厳格に規制すると、次のような問題が発生する可能性があります。

  • 国際競争力の低下:海外ではAIを活用したクリエイターが低コストで作品を量産するのに対し、日本のクリエイターは従来の手法に縛られて生産性が伸び悩む。AIを活用した海外企業が日本市場に参入し、日本のコンテンツが埋もれる可能性がある。
  • 技術流出と依存のリスク:日本企業が国内でAIを活用できないと、結局、海外のAIツールに依存することになる。結果として、日本のクリエイターが海外企業のプラットフォームなしでは活動できなくなり、利益の大部分を海外に取られる可能性がある。

つまり、日本国内の著作権問題だけではなく、視野を広げて海外との競争も考慮する必要があるわけです。

「バカな法律によって国益が海外に流れ続けている」という失敗の二の舞を踏むのは避けたいですからね。

規制の足並みを揃えるのは現実的か?

全世界で足並みをそろえて規制することは、現実的には非常に難しいです。

アメリカは市場競争と技術革新を重視する傾向があり、OpenAI、Google、Metaなどの企業が先端技術の研究や開発をリードしています。

中国は国家主導でAI技術を推進し、政府が厳しく管理しながらも活用を進めています。

その一方で、ヨーロッパ(EU)は著作権や倫理的問題を重視し、比較的規制を強化しています。

このように、歴史的に見ても規制が統一されることは少なく、例えば、インターネット規制、仮想通貨規制、著作権法など、各国の規制の仕方はバラバラです。

そのため、AI規制も各国が独自のルールを作る可能性が高いと考えられます。

ディープフェイクなどの悪用事例

「いいね、僕の期待どおりの仕事だったよ。」

包丁や爆弾といった便利な道具は得てして悪用されるものですが、生成AIも同じです。

特に、生成AIに賛成か反対かの立場を問わず問題視されているのがディープフェイクでしょう。

本物の映像と見分けがつかないと、本人が実際に問題発言や違法行為をしたのか、本人が実際に被害に遭ったのかなどがわからなくなります。

比較して申し訳ないですが、絵師さんの著作権問題の次元を遥かに超えたヤバさですよね。

今のところ、映像についてはまだフェイクだと見抜ける段階ですが、今後技術が発展すると本当にわからなくなる危険性があります。

これはもう法規制でどうにかなる問題ではないですから(冤罪は絶対に避けたいので)、「どのように共存するのか」を模索していく必要があると考えています。

銃社会において銃と共存しなければならないのと同じように、フェイク社会においてフェイクとうまく共存していくということです。

リテラシー教育や啓発は欠かせないでしょう。

なお、ディープフェイクのメリットも実はあるのですが、この場では不適切な(レンタルサーバーの利用規約に違反するような)内容なので割愛させていただきます。

生成AIを活用したハイブリッドな創作と共存の道

「これからよろしくね!」

生成AIは単なる人の代替ではなく、人間の創造力を拡張、補助するツールです。

例えば、生成AIを使ってアイデアを素早く試し、最終的な仕上げは人間がおこなう……といった「ハイブリッドな創作プロセス」も一般的になってくるでしょう。

そのため、生成AIを憎んで縛りプレイをするのではなく、ボカロと歌手の関係のように共存できる道を探っていくのがおすすめです。

人間の個性や独自性を尊重しつつ、生成AIの利点を活かすという「いいとこ取り」の選択ですね。

もちろん、人には絶対に譲れないポリシーというものがありますから、縛りプレイを続ける権利も当然認めますし、そのポリシーを貫く姿勢に共感するファンもできるはずです。

これは皮肉とか嫌味ではなく、私の本心です。

おすすめのやり方を押し付ける権利はありませんからね。

おわりに

反AI派の方々にとって辛辣な意見もたくさん述べてきましたが、これでも普段よりはマイルドな言葉遣いを意識したつもりです。

誤解していただきたくないのは、私は親AI派とはいえ「生成AIの悪用事例を無視している」わけではないという点です。

例えば、実在の人物のディープフェイクや著作権侵害は大問題であり、そうして生成AIを悪用するカスどもは現行の法律で適切に裁かれるべきだと考えています。

わざわざ「現行の法律」と書いたのは、法規制を増やして日本の国際競争力を低下させたくないからです。

反AI派の中にはヨーロッパの厳しい規制を絶賛する声もありますが、私は逆に愚かだなと評価しています。

この意見については、多くの反AI派の方と対立するでしょうが……これから生成AIがクリエイターと共存できる時代に少しずつ移り変わっていくのではないかと私は推測しています。

後戻りはもうできません。

あのセミの鳴き声が……

おまけ:オプトイン方式の採用は非現実的

この記事の序盤で反AIレベルの説明をするときに、「オプトイン方式」について軽く触れました。

オプトイン方式とは、利用者が自らの意思で参加や同意を選ぶ方式です。

画像生成AIであれば、自分のイラストを生成AIのエサにしたい場合に、自発的に協力する必要があるということですね。

一部の反AI派の方はこのオプトイン方式を希望しているようなのですが、これはあまりにも非現実的だと言わざるを得ません。

現代はインターネットで世界中がつながっており、大規模なモデルは多くの人や組織の手に渡っています。

つまり、今からオプトイン方式を採用しても、すでに生成AIは社会に深く浸透しており、明らかに手遅れなのです。

しかも、大規模なモデルの学習データにほんのちょっと勝手に混ぜられたとしても、確かめようがありません。

喩えるなら、「100 (L) のフルーツジュースに1 (mL) の塩水を混ぜても気づくわけがない」という感じです。

そのため、今からオプトイン方式が仮に採用されたとしても、最初から形骸化しているようなものになるでしょう。

理想を思い描くのは良いですが、現実を考慮する必要があるのです。

記事本文下のバナー広告

この記事をSNSでシェアする

 

人権カテゴリーの最新記事(5件)

管理人のTwitter

Tweets by MinatameT

内部リンク集

広告枠のレンタルの詳細はこちら!
記事作成のご依頼の詳細はこちら!