【表現の自由】CEROレーティングはいらない! 有害図書の制度も廃止せよ! 【表現の自由】CEROレーティングはいらない! 有害図書の制度も廃止せよ! – みなためラボ

【表現の自由】CEROレーティングはいらない! 有害図書の制度も廃止せよ!


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はじめに

みなため

どうも! みなため(@MinatameT)です。

突然ですが、まず最初に次の2点を考えていただきたいです。

  • 自主規制(自己検閲)による社会的な悪影響はなんだと思いますか?
  • 今はネットでなんでも調べられる時代ですが、ゲーム販売時の年齢制限(R18指定)は必要だと思いますか?

現代ではゲームに限らず、アニメや漫画などのさまざまな創作物が自主規制されるようになっています。

昭和のテレビ番組と令和のテレビ番組を比較してみるとわかりやすいですね。

「昔はこんな過激なものが放送できていたの?!」と驚くことでしょう。

それと、最近は法的根拠がないのに「死」や「殺」の文字をわざわざ伏せ字にしている人もよく見ます。

この記事では、ゲーム業界の自主規制と有害図書が表現の自由を侵害している事実について語っていきます。

前提:表現の自由

あらゆる表現の自由

表現の自由とは、個人の思想や感情などを自由に表現できる権利であり、日本国憲法の第21条で保障されています。

この権利はかなりの広範囲に及んでおり、次のような権利も含まれています。

  • 趣味や政治について意見する「言論の自由」
  • 自分の考えたイラストや楽曲を制作、公開する「創作の自由」
  • 自分の考えた単行本や雑誌を発行、頒布する「出版の自由」

ただし、表現の自由は無制限ではなく、公共の福祉(お互いの人権が衝突したときに、人権を仕方がなく譲り合うこと)によって調整される場合があります。

例えば「表現の自由があるとはいえ、他人の人権を侵害するような発言はある程度抑える必要があるのでは?」ということですね。

それでは次の項目から、CEROレーティングと有害図書を中心とした、ゲームの表現規制について説明していきます。

CEROレーティングと有害図書

CEROレーティングでも有害図書でも制限される創作物

表現の自由は無制限ではありませんが、合法の範囲内ならあらゆる表現が許容されるべきです。

しかし、ゲームにはCEROレーティングや有害図書という制度があり、事実上の制限が存在します。

前者はCERO(コンピュータエンターテインメントレーティング機構)という組織がゲームの内容に応じた対象年齢を審査します。

そのレーティングはA(全年齢対象)、B(12歳以上対象)、C(15歳以上対象)、D(17歳以上対象)、Z(18歳以上対象の特別枠)の5段階に分かれています。

ZレーティングのみはR18コンテンツとして扱われ、流通業界での販売自主規制(販売スペースを隔離したり、店員さんが年齢確認を実行するなど)が義務付けられています。

一方で、A~Dのレーティングはあくまで目安であり、法的な強制力はありません。

そのため、例えばDレーティングのゲームを小学生が遊ぶこと自体に法律上の問題はありません。

後者は都道府県ごとの青少年保護育成条例に基づき、子供に悪影響を及ぼすと考えられるゲームや本はR18コンテンツに指定されます。

R18コンテンツは18歳未満の方の購入、閲覧、所持が法的に「禁止」されています。

……と、大雑把に説明しましたが、「R18コンテンツだけは法的根拠があるんだな」と覚えていただければOKです。

ここで「レーティングされているだけなら、表現の自由の侵害にならないのでは?」と思った方もいらっしゃると思います。

確かに、作品をレーティングするだけであればなんの問題もありません。

しかし、実はCEROのZレーティングでは、本来は合法なのに禁止されている表現も存在するのです。

例えば、四肢切断などのグロ表現、女性キャラの乳首のようなセクシー表現が含まれるゲームはCEROの基準では禁止されています。

これが問題の自主規制の正体です。

自主規制をする意味

「ゲーム業界は健全です!」

そもそもCEROはなんのためにレーティングしているのかと言いますと、ゲームメーカーの保護のためです。

例えば「うちの子がこのゲームをプレイして、悪い人間になったらどうするの?」というバカ親からのクレームに対し、メーカーは「え? ちゃんとCEROに審査してもらったゲームだから、対象年齢を確認せずに遊ばせている親の責任では?」と言い返せるからです(笑)。

もし、第三者の団体のCEROではなくゲームメーカー自身が独自の基準でレーティングをしていると、「このメーカーはレーティングが甘すぎる! 他のメーカーはちゃんとレーティングしているのに! 不公平だ!」と指摘されて炎上する可能性がありますよね?

クレーマー対策だけではなく、こうして審査基準を公平に設定して「ゲーム業界は自主規制できているぞ!」と健全アピールすることで、ゲームメーカーが責任追及を回避したり、商業的、社会的なリスクを回避したりすることができるわけです。

また、表現規制派のクソ政治家たちによるゲーム業界への圧力、新たな法規制を避ける目的もあります。

そのため、CEROはゲーム業界の表現の自由を維持することに貢献しているのです……というのが一般的な意見です。

しかし、私はこれに手放しでは賛同できません。

CEROレーティングも有害図書も不要である理由

ネット社会の事実

はっきりと言いますが、CEROレーティングも有害図書という制度も「不要」です。

どちらも表現の自由を妨げますし、時代錯誤も甚だしいからです。

ゲームの悪影響を受けて人を傷つけたりする子供もいるのは事実ですが、その非行の因子はゲームだけではないでしょう。

アニメ、漫画、小説、ドラマ、テレビ番組、学校の同級生、習い事の友達などの悪影響を受ける可能性もあるからです。

しかも今は、小学生であっても自分のスマホやパソコンでなんでも調べられる時代ですよ。

そんな時代に、CEROレーティングや有害図書の制度で創作物をいちいち分類するのは無駄で非生産的です。

こういう高度情報化社会(情報が簡単に手に入る時代)だからこそ、子供に「見せない」ではなく「教育する」ことが大人の役目だといえます。

例えば、ネット利用時に気をつけるべきこと(個人情報、違法な投稿についてなど)や、虚実境界(リアルとフィクションの違い)の教育は、学校や各家庭で必須の時代になっているといえます。

そうした教育をせずに、子供に対して一時しのぎの抑圧(あれもダメ、これもダメ)をしたり、クリエイターに対して文句をつけたりするのは、大人の怠慢ではないでしょうか。

大人が創作物を規制することで責任を回避しようとするのではなく、「子供に正しい知識を与える」ことこそが重要です。

ですので、R18コンテンツ指定を廃止して教育に力を入れましょう!

自主規制の問題点と権利の行使

「みんなで権利を行使するぞー!」

そもそも、合法であればどのような表現も許容されるべきですし、権利は「行使してこそ」のものです。

法規制が怖いからと自主規制を徹底するのは、形式的に法規制されていなくても、実質的に法規制されているのと同じ状態なんです。

規制派のよく言う「自主規制しないと法規制されるぞ(意訳:自主規制が不十分なコンテンツは法規制されてほしい)」という脅しのロジックに騙されないでください。

私は多くの日本人の弱点がここにあると分析しています。

憲法で保障されている大切な権利を行使して戦おうとせず、圧力に負けて空気に服従させられています。

大げさに聞こえるでしょうが、これは人間として屈辱的なことだと国民が認識しなければなりません。

……まず大前提として、憲法違反の法律は無効です。

表現の自由は憲法第21条で認められており、公共の福祉で調整する必要がない限り侵害できません(ただし、一部の刑法ではこれが侵害されており、現在問題視されています。)。

だったら、自主規制をやめて表現の自由を行使すべきです。

CEROレーティングの改善案

CEROレーティングの改善案

ここで「でも成人向けのゲームが普通に販売されているのは問題では?」と思う方もいらっしゃるでしょうが、そこでCEROの出番です。

私は先ほど「CEROは不要だ!」と主張しましたが、それは今のままではいけないという意味です。

スマホゲームの流行でもわかるとおり、昔(西暦2002年頃)と比べると今はゲームが普及したことによって、ゲームに対する世間の風当たりが弱まっています。

ゲームだけでなく、アニメもそうですね。

そんな今の時代に現基準のような厳しいレーティング基準で審査する必要はないといえます。

時代錯誤も甚だしいので、次のように改善しましょう。

  • レーティング基準を全体的に緩和する(A:現状維持、B:現Bに現Cを格下げ統合、C:現Dに現Zを格下げ統合、D:廃止、Z:違法な表現以外はすべて許可)。加えて、緩和後の詳細な基準を公開する。
  • ZレーティングのR18コンテンツ指定(都道府県ごとの条例適用)を無効化し、誰でも購入できるようにする。ただし、条例の改正が必要なので、CEROの努力だけでは達成できない。

上記の2点が達成されることで、合法の範囲内で表現の自由の侵害なくレーティングを機能させ、消費者に自由な選択をしてもらうことができるようになります。

CEROレーティング 新基準の提案

Zレーティングされた成人向けゲームであれば、次のように取り扱うと良いでしょう。

  • パッケージにZレーティングであることを表示する。
  • 販売店では隔離し、Z以外のレーティングのゲームと混ざらないように陳列する(ゾーニング)。
  • 購入時に店員さんが「このゲームの対象年齢を認識していますか?」と消費者に確認する。

こうすることで、理不尽な責任追及に対してゲームメーカーは「パッケージにZレーティングと書いてありますが?」と反論できますし、販売店は「販売スペースは分けていますし、お客様に確認しましたが?」と反論できるわけです。

え? それでも子供には成人向けゲームを販売すべきでない……ですか?

先ほども申し上げたように今はネットでなんでも調べられる時代なのですから、ゲームだけを必死に規制しようとする意味がわかりません。

スマホのフィルタリングサービスなども工夫次第で回避できることはご存知ですよね?

その場しのぎの「あれもダメ! これもダメ!」という教育は、今の時代では無理があります。

ですから、子供に「与えない」ではなく「与えたうえで正しく教育する」ことが大人の役目だといえます。

有害図書の改善案

有害図書の改善案

何度も主張しておりますが、今はネット社会の時代ですし、さらにAIを活用する新たな時代に突入してきています。

そのため有害図書についても時代錯誤と言わざるを得ず、廃止 or 改正すべきだと考えています。

まあ、青少年健全育成審議会などが「仕事している感」を演出するために必要なのかもしれませんが(笑)、無駄な仕事なのでなくしましょう。

どうしても残したいのであれば、法律や条例とは絡めないこと……つまり、R18コンテンツを「法規制しないこと」が最低条件ですね。

しつこいようですが、有害図書を指定したところで子供は他の手段で有害とされる情報を得ることができるわけですから、無駄な法規制は撤廃して仕事を減らすのがスマートです。

実際に、2023年には兵庫県の西宮市で有害図書を回収する「白ポスト」がすべて撤去されることが決定しました。

これについて西宮市の教育委員会は「ネットの普及で青少年を取り巻く環境が変化したから」といった理由を挙げていました。

そのとおりですね!

まあ、条例は廃止されていないのでまだ不十分なのですが、西宮市が今の時代を考慮して一歩前進したのは事実です。

他の自治体も西宮市を見ならって「有害図書の概念は時代遅れだ! 無駄な規制はやめよう!」と前進していってほしいものです。

そもそも、ゲームや書籍などの創作物を有害であると指定すること自体、作者さんに失礼な話ですよね(笑)。

まあ、私はマナー厨ではないのでその点についてはうるさく言いませんが……。

おわりに

長くなりましたが、この記事の要点は次のとおりです。

  • 自主規制の風潮によって多くの人が萎縮し、表現の自由などの権利が十分に行使されていないのが問題。
  • CEROはゲーム業界を政治家から守るために必要だが、時代遅れのレーティング基準を見直す必要がある。
  • 有害図書の制度は表現の自由に反しているので、時代遅れの条例を改正してR18コンテンツの法的制限を撤廃すべき。

私は「自由」を特に重んずるので、多くの日本人とは価値観があまり合わないのですが、いかがだったでしょうか……?

特に今の若い方は自主規制が当たり前という環境で育ってきていますので、ほとんど共感できなかったかもしれませんね(汗)。

しかし、私たちの人権は意識的に守る必要があります。

自粛の空気に流されずに毅然と権利行使することで、自由な社会を目指していきましょう!

おまけ:CEROの禁止する表現

CEROの現レーティングについての補足説明と私の意見です。

CEROはエロ系とグロ系だけでなく、実在する属性が対象の差別的表現、犯罪行為やテロの賛美、宗教や政治に関する表現も禁止しています。

これらの表現についてはプレイヤーに「犯罪教唆」や「危険思想を刷り込む」という可能性がありますので、フィクション作品であるゲームとはいえ規制すべきと考えている方もいらっしゃいます。

ただ、フィクション作品であることが明確なゲームでのプロパガンダよりも、リアルかつ中立性を標榜しているニュース番組でのプロパガンダのほうがよほど害悪といえるでしょう。

歴史や社会を勉強している方はご存知のとおりですが、実際に多くの国民がマスゴミやインフルエンサーのプロパガンダに扇動されているではありませんか。

ニュース番組の有害度はゲームの比じゃないですよ。

それなのに、わざわざゲームを規制するのですか?

前述のとおり、国民が「虚実分離(リアルとフィクションの区別)」を覚えて、ゲームはフィクションであることをちゃんと認識すれば問題ないでしょう。

これはニュース番組のプロパガンダを見抜くよりも簡単なことです。

そもそも「合法であってもこういう表現は禁止すべき」という思想自体が全体主義的であり、表現の自由に反します。

そのため「違法な内容が含まれていなければ販売を許可する」という方針が最も大切だと考えています。

明らかな犯罪予告や名誉毀損などは違法なのでアウトですが、そうでなければ自由に制作させてあげましょう。

例えば私は宗教アンチですが、信教の自由を行使した(布教を含む)内容のゲームはあっても良いと考えています。

特定の政治的主張を賛美するような内容のゲームや、テロやクーデターによって世界を変えるような内容のゲームもあって良いでしょう(まあ、政治的主張のあるゲームは政治家に目をつけられるので、リスクを承知のうえで制作すべきですね。)。

もちろん、私はそうしたゲームについて「悪質な内容に騙されるな!」とか「これはフィクションだから気をつけて!」と当ブログの記事で警告するでしょうが(笑)、それで良いのですよ。

表現の自由(創作の自由)に表現の自由(言論の自由)で対抗する……これが自由で開放的な社会です。

※報道の自由は認めていますが、残念ながら多くの日本人がプロパガンダに扇動されている現状を考慮すると、子供だけでなく大人に対してもちゃんと教育する必要があると感じています。この記事では説明しませんが、「ネームコーリング」、「証言利用」、「カードスタッキング」などのプロパガンダ手法を各自で調べてみてください。

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