もくじ
はじめに
どうも! みなため(@MinatameT)です。
この記事では、法よりも感情論が優先されることの危険性について、選挙ポスター騒動を絡めて説明していきます。
それではまず、2024年6月に起きた選挙ポスター騒動について簡単に説明します。
2024年の東京都知事選挙で、ある候補者によって露出度の高い女性を使った選挙ポスターが掲示され、大炎上したのがこの騒動です。
言葉で説明するよりも見たほうが早いので、似たような画像を掲載しますが、次のようなポスターでした。
※黄色い丸の部分は、候補者の写真でした。
こんな感じのお下品な選挙ポスターが貼り出され、多くの人からクレームが殺到しました。
そして、警察が候補者に警告をして、候補者はポスターを撤去する事態となりました。
私はこの騒動には3つの問題点があると考えておりますので、前提を説明した後にすべてお伝えします。
前提:法治国家で意識すべきこと
まずは、この騒動の「真の問題点」を理解するために必要な前提を説明します。
日本は法治国家の設定ですので、決まりごとには次の優先順位があります。
憲法 > 法律 > 条例 > 個人の倫理観やマイルール
今回の騒動のケースでしたら、公職選挙法は条例よりも上位の存在なので、都の迷惑防止条例よりも公職選挙法が優先されます。
また、次の優先順位も重要です。
表現の自由と知る権利 > 見たくないものを見ない権利
冷静に考えるとわかりますが、個人の「見たくない」という感情を優先すると、何も表現できない社会になってしまいます。
例えば次のようなイメージです。
- この政治家に恨みがあって顔も見たくないので、ポスターを掲載しないでほしい。
- この雑誌が大嫌いで見たくないので、コンビニに置かないでほしい。
- 大震災の映像が怖くて耐えられないので、放送しないでほしい。
これらの感情を優先して完璧に配慮すると、世の中から多くの商品や情報が消えてしまいます。
また、苦手なものや倫理観には個人差がありますし、時代の流れによって変化する曖昧なものですから、すべての人に配慮をしていたら「きり」がありません。
それでは、ここまで説明した基礎的な内容を踏まえて、今回の騒動の問題点を1つずつ見ていきましょう。
問題点1:倫理観という曖昧な基準での制裁
重要な点
あのようなお下品な選挙ポスターを子供に見せたくないという気持ちはわかります。
しかし、お下品なポスターを掲示する候補者に対して「NO」を示す正当な手段は、「他の候補者に投票する」という意思表示と行動のみです。
「不快だから」や「子供の教育に悪いから」というお気持ち(感情論)や暴力的な手段で排除しようとするのは、法治国家、民主主義国家としてあってはならないことです。
これが許されてしまうと、法の支配や民主主義が形骸化することになります。
そして、今までお気持ちで排除していた側も、いつかはお気持ちで排除される側になる危険性もあるのです。
「だって、それはあなたが認めていたことでしょう?」と言われても反論できませんよね。
そういった未来を防ぐため、個人の倫理観やお気持ちが法よりも優先されてはならないことを徹底すべきです。
お願いします。
子供の教育に悪い?
話がちょっと脱線します。
そもそも、お下品なコンテンツが子供の教育に悪いというのであれば、裸芸をするお笑い芸人(とにかく明るい安村さんやアキラ100%さんなど)についてはどう考えますか?
ダビデ像やミロのヴィーナスはどうですか?
実は現在、小学6年生のスマホ所有率が5割を超えており、はっきり言うとなんでも調べられる時代になっています。
なんでもです。
それに、遅くても中学生になれば、クラスの男子が中心となり下ネタを連発するようになりますよね(笑)。
つまり、大人の意思に反して、子供はいわゆる「教育に悪い情報」を簡単に得ることができるんですよ。
大人はこの事実を受け止めて、今の時代に合った思考にアップデートすべきではないでしょうか?
そこで、子供に「触れさせない」ではなく「リテラシーを教育すべき」だと私は提唱します。
例えば、個人情報の取り扱い、ゲームへの課金、オフ会のリスクなどについての教育ですね。
問題点2:選挙ポスターの表現に警察が介入したこと
話を戻します。
クレームや通報が多かったとはいえ、選挙ポスターについて警察から警告されること自体が異常です。
昭和の時代には、そうしたお下品なポスターも存在していたり、テレビ番組でも過激な表現が許容されていました。
タバコのテレビCMも、ドラマなどでの喫煙シーンも自主規制されていませんでした。
※ヤニカスは嫌いですが、こうした規制には断固反対します。
これは社会の許容範囲がどんどん狭まってきて(オヴァートンの窓が動き)、不寛容な世の中になった証拠です。
清廉潔白かつ品行方正を求める潔癖すぎる社会、世論になってしまったわけですね。
それにもっとヤバい点が、そうした世論に後押しされた警察が「不適切な表現だ」と選挙に介入し、結果的に選挙を妨害できた前例を作ってしまったことです。
これは法治国家、民主主義国家であってはならない事態です。
なぜなら、警察がその気になれば都合の悪い候補者を弾圧、排除することができるからです。
そんなヤバい事態に気づかず「やったー! あの下品なポスターが剥がされた!」と喜んでいるようでは、あまりにもお花畑だといえます。
問題点3:自主規制と謝罪
最後の問題点は、警告を受けた候補者がすぐにポスターを剥がし、謝罪したことです。
「不快に感じていた人が多かったし警告を受けていたのだから、ポスターを剥がすのは当たり前」という意見もあるとは思います。
……というか、これが多数派でしょう。
残念ながら。
しかし、表現の自由への規制に強く反対しているのであれば、あのポスターを剥がすべきではありませんでした。
ローザ・パークスさんのように不当に逮捕されることも覚悟もして毅然と対応しなければ、表現の自由を守ることなどできません。
スライムすら倒せない勇者に、竜王は倒せませんよね(ドラクエ脳)。
申し訳ないですが、この候補者さんからは表現の自由を取り戻したいという熱意が感じられませんでした。
こんな体たらくでは「ただのおふざけだった」と判断されても仕方がありませんよ。
それに、選挙ポスターの撤去を知った子供が「これは社会的に許されない表現」と理解し、表現規制派になってしまうリスクもあります。
そして、より息苦しい規制だらけの社会になってしまいます。
昭和から平成、平成から令和で規制が増えたように……。
こうやって保身に走って自主規制をするから、規制派に成功体験を与えるから、規制派が調子に乗るわけです。
ですから、自由の尊さをアピールするためにも、あのポスターを絶対に剥がしてはいけませんでした。
まとめ
今回のポスター騒動の問題点をまとめると、次のとおりです。
- 多くの国民が、公職選挙法よりもお気持ち(感情論)を優先したこと
- 世論の後押しの影響か、警察が選挙ポスターの表現に介入したこと
- 候補者が保身に走って、表現の自由を取り戻す信念を貫かなかったこと
辛辣で申し訳ないですが、全部最悪です。
法の支配も民主主義も基本的人権(自由の尊さ)も何もわかっていないレベルです。
冗談抜きで、日本の未来が心配です。
おまけ:表現の自由を取り戻すのは難しい
候補者が訴えていた刑法175条についてですが、これは表現の自由の侵害に加えて、国益が海外に流れている問題点もあるので早く廃止すべきだと考えています。
そもそも憲法違反ですから、無効とすべきです。
ただ、表現規制について無頓着な人も多いですし、天下りした元警察の利権絡みもあるので、刑法175条の廃止は難しいと考えています……。
ちなみに、刑法は日本全体に適用される法律でして、これを改正するためには国会での法案の提出 → 審議 → 承認が必要です。
そのため、刑法の廃止は都政ではなく国政でやる内容なのですが、こうしてポスターが炎上することで「表現規制に関する問題提起」ができたのは唯一評価したいと思います(苦笑)。