もくじ
はじめに:注意点
どうも! みなため(@MinatameT)です。
この記事では、規制強化による統制を望むべきではない理由を「滑り坂論法」を用いて解説していきます。
滑り坂論法とは「あることを一度容認すると、それをきっかけに状況が連鎖的に悪化していくのではないか?」と心配する理屈です。
例えば次のようなものです。
- 日本でも海外のように大麻を合法化すれば、それが連鎖的にカジノの合法化にもつながり、結果的に日本の治安が悪化してしまうのではないか?
- 路上喫煙を違法化すれば、それが連鎖的に路上飲酒の違法化にもつながり、生きづらい窮屈な世の中になってしまうのではないか?
- 頭髪自由の校則に変えると、それが連鎖的に生徒の風紀の乱れにつながり、制服の着こなしや授業態度が悪化するのではないか?
ただ、滑り坂論法は一般的に「誤謬(ごびゅう = おかしな理屈)」とされています。
なぜなら、歴史や経験則による「未来の予測」ですので、確実性がなく、正しい内容であることが保証できないからです。
つまり、予測を外す(心配していたことが現実にならない)可能性があるわけです。
先ほどの例でしたら、次のように反論されてしまいます。
- 大麻の合法化が、カジノの合法化や日本の治安悪化につながるとは限らない。
- 路上喫煙の違法化が、路上飲酒の違法化につながるとは限らない。
- 頭髪の自由化が、生徒の風紀の乱れにつながるとは限らない。
つまり「私はこんな心配をしている。」 → 「でもそうなるとは限らないでしょ。」 → 反論不可……という展開ですね。
そうした問題点のある滑り坂論法ですが、ここでは私の予測が正しいものと仮定して話を進めていきます。
難しい内容ですが、たくさん例示して伝わりやすいように解説していきます。
規制強化とは
記事を誤解なく読み進めていただくために、最初に規制強化の意味を確認しておきましょう。
規制強化とは、法律や会社の規則などに「禁止事項(禁止されていること)」や「義務事項(必ずしなければならないこと)」を追加することです。
まずは法規制の例ですが、実際にそうなっているとは限りません。
- タバコの販売や所持の違法化
- アルコール飲料の広告の違法化
- 自転車運転時のヘルメット着用の義務化
次に自主規制の例ですが、こちらも実際にそうなっているとは限りません。
- テレビ番組での放送禁止用語の追加(バカ、アホ、ブサイクなど)
- ネット広告の自主規制(女性の胸の谷間は隠す、男性であっても上裸は禁止など)
- ポリコレ的義務事項(映画では黒人の女性を必ず主人公にする、ゲームには性的少数者の人物を必ず登場させるなど)
いくつか心当たりがあるとは思いますが……(苦笑)。
これらの例を見て「実現したらいいな」ではなく「こうなったらヤバい」という危機感を覚えるべきです。
その理由を、次の項目以降で説明していきます。
規制は自由の制限である
私たちの暮らしている社会には法律や条例などの「決まりごと」があります。
こうした決まりごとによって、社会の秩序や平和が(ある程度は)保たれているといえます。
しかしながら、この決まりごとを言い換えると「自由の制限」です。
- 禁止事項:やってしまうと罰則。禁止事項を「やる」という選択肢(自由)がない。
- 義務事項:やらないと罰則。義務事項を「やらない」という選択肢(自由)がない。
超当たり前ですね。
ネガティブな言い方をしますが、規制が強化されるほど、私たちの自由が失われていくということです。
もちろん、殺人や万引きなどの規制は合理的ですから、文句はありませんよね。
問題なのは「その規制、本当に必要なの? 自由を無駄に制限するだけにならない?」というものです。
例えば、次のような規制強化は本当に必要なのでしょうか?
- 子供向け漫画の暴力的な表現の規制
- 黒人女性を映画の主人公にすることの義務化
- 未成年者の単独(1人)での外出の違法化
1つずつ確認していきます。
子供向け漫画の暴力的な表現の規制
まず、暴力表現規制からです。
子供向け漫画にパンチやキックなどの暴力的な表現があると、その漫画を読んだ子供がマネをする可能性があります。
クラスメイトをケガさせてしまうかもしれませんね。
その可能性を考慮し、子供向け漫画から暴力的な表現をなくすことは……本当に必要ですか?
アンパンマンのアンパンチ、ジャイアンのパンチ、みさえのげんこつも見れなくなりますね。
そういう描写を楽しむ自由が奪われるわけですが、大丈夫ですか?
黒人女性を映画の主人公にすることの義務化
次に、黒人女性のメイン起用の義務化です。
黒人差別や女性差別の歴史は有名でして、こうした不当な差別は二度と起こしてはならないことですよね。
過去に差別を受けた属性である黒人や女性に配慮し、(今は差別を受けていない)黒人女性を映画の主人公に起用することを義務化……していいと思いますか?
多様性の時代とか言っておきながら、黒人女性が主人公になっている映画しか見れなくなりますね。
もちろん、そうした映画もあって良いとは思いますが、問題なのは「義務化」の部分です。
いくら演技の実力があっても、黒人女性以外は主人公になれませんが、大丈夫ですか?
未成年者の単独(1人)での外出の違法化
次に、未成年者の単独での外出禁止です。
特に小学生以下の子供を1人で外出させるのは、保護者として心配になるとは思います。
誘拐や交通事故のことを考えると、本当に恐ろしいですよね。
そのため、未成年者の安全を確保することを目的とし、未成年者の単独での外出を違法化するのは……良いことだと思いますか?
友達の家に遊びに行くときも、近所のコンビニに行くときも、保護者などが同伴しなければなりませんが大丈夫ですか?
※国によっては誘拐リスクが非常に高い地域があると思いますが、この例は今の日本で考えてください。
規制強化の連鎖と人権侵害
規制が自由の制限であることはご理解いただけたと思います。
それでは、ここでようやく「滑り坂論法」の出番です(笑)。
「規制強化を一度容認してしまうと、連鎖的に他の規制も追加されていったり、規制の対象が拡大されていったりするのではないか?」というのが私の考え(社会的な懸念)です。
これの根拠はいくつかありますが、実例でいえばオランダでの安楽死の合法化です。
オランダでは終末期患者(ターミナル患者)に対する安楽死のみが認められていました。
しかし、対象が次第に拡大していき、75歳以上の高齢者や知的障害者なども含まれるようになりました。
これは合法的な殺人の推進であり、悪用されるリスクが十分に考えられます。
まあ、これはできることが増えた実例ですので、規制とは真逆です。
しかしながら、規制強化でも似たような展開が考えられます。
例えば、次のような感じです。
- ディープフェイク対策のためにAIツールが違法化し、連鎖的に画像編集ソフトや音声合成ソフトの利用も違法化されてしまう。
- テロ対策のために爆弾の作り方を発信することが違法化し、連鎖的に爆弾を扱うゲーム、漫画、教育資料も規制されてしまう。
- デマ対策やヘイトスピーチ対策のためにSNSでの検閲(言論統制)が強化され、連鎖的に多くのアカウントが不当に凍結されてしまう。
「それはないでしょ」や「そうなるかも」といった意見があると思いますが、これが私の心配している「規制強化の連鎖」です。
どの例も、目的は正当なのにやっていることが無茶苦茶ですよね。
明らかな人権侵害になってしまっています。
おわりに
規制は自由の制限であり、それがフット・イン・ザ・ドアのようにエスカレートすると人権侵害につながるおそれがあります。
したがって、その規制が本当に必要であるのかどうかを慎重に判断し、規制強化による統制を安易に望むことがないようにしていただきたいです。
統制は既存の法令で十分でしょう。
……いやー、私にしては珍しく誤謬である(正論にはならない)滑り坂理論でゴリ押ししました(笑)。
まあ、規制の連鎖については政府を信用していない私の意見でして、政府を信用しており「政府は日本のために規制をしてくれるはずだ」といった平和ボケ的な意見があっても良いとは思います。
ちなみに、言論統制などの規制が強すぎる国の場合、反政府的な記事を投稿しただけで逮捕される場合もあります。
そんな世界がお望みですか?
おまけ:統制を望む人
私があるオンラインゲームのグループのリーダーを務めていたとき、メンバーの1人から「グループのルールを作ってください!」とお願いされました。
私は「チャットで誹謗中傷などの道徳に反するようなことをしなければ、原則自由です。」といった返信をしたのですが、その方から「自由というのはルールがないのと同じです!」などと怒られてしまいました……(汗)。
確かに、自由と規制は対になるものですから、その意見は間違っていません。
ただ、なぜ「そうやって統制を求めたがるのか」と、当時から不思議に思っています。
跋扈しているクソ教師による学校教育の悪影響でしょうか?
私は「統制されたがる人」とは相容れません……。